第211回 高校無償化からの朝鮮学校排除に抗議する文科省前金曜行動

2018年4月6日
第211回 高校無償化からの朝鮮学校排除に抗議する文科省前金曜行動
銀座線虎の門駅6番出口の階段を手すりにつかまりながら登り始めると、出口に引き上げられるように背後からの突風に吹き上げられて、ズボンが袴のように広がる。変形性膝関節症で入院手術し、セラミックの人工関節を左ひざに埋め込んだ。主治医や療法士の教え、専門書、ネット情報を守り、2年近くのリハビリを忠実に実行したのだが、状況は逆に悪化した。車いす生活の招来を予想したが、医者がだめなら自分でと、逆に、足に重りをつけて歩けばと仮説を立て実践すると、痛みがたちどころに改善した。その後3年経ったつい最近まで、快適に歩き続けてきたのに、ここへきて、少しの遠出で、膝に痛みが残るようになった。
出口に向かうと、なにやら、ラウドスピーカーのシュプレヒコールが響いている。登りきったところで、道路の向かい側に目をやると、前々回の時は、アスベスト訴訟原告団の長いデモ隊列だったが、今回は、赤旗や労組の幟旗が立ち、春闘の賃上げ闘争で気勢が上がっていた。
顔を上げるとすでに時期が過ぎて葉桜になり、花を散らせて蕊の残った花柄ばかりのソメイヨシノが目に入り、その下の路上に店を広げ、青年が座り込んでいる。誰が、何をという疑問と、金曜行動の邪魔だなという危惧を抱きながら近づいて覗いてみると、店と思っていたが、並んでいるのは、商品ではなく、「『国民』化教育反対!」や「文科省は差別やめろ!」などと書かれたメッセージカードだった。なんか、金曜行動の趣旨と似ているようなという共感を覚えながらも、うさん臭さをぬぐい切れず、彼の様子をうかがいながら、すべてのメッセージカードに目を通していく。よく見ると、「朝鮮学校への『高校無償化』除外は、民族差別!」とか、「朝鮮学校を不当に支配しているのは日本だろ!支配をやめろ!」など、金曜行動そのもののメッセージばかりだ。しかし、結構常連になったと思うわたしだが、ここで見たことのない顔であるし、その上、彼は、英語の書類を読み、顔の色もやや黒い。韓国人?あるいは、近くのアジア人?
とにかく、話してみるにはしかず、向かい合って座って話しかける。「何してるんですか」「ちょっと東京に用事があってきたので」から始まり、彼が、在日朝鮮人人権協会の関係者で、その会議のために上京した、在京都留学同(在日朝鮮人留学生同盟)の朴利明(パク・リミョン)さんであることが判明、一件落着する。英語の書類を読んでいたのは、人権協会で取り組む英語事業の準備のためだった。彼は、上京するたびにここへ来ていて、今日は、朝9時からここに座っていた。そろそろ出かけるという彼を、「4時から金曜行動があるので、もう少しいて、一緒に参加してください」と押しとどめ、そのまま、座り込みの形で参加してもらうことにする。
ガタイのいい朝鮮大学校体育部の学生たちが続々と現れ、スピーカーとゼッケンが到着し、集会が始まる。
「ぼくが、無償化の問題に出会ったのは、中学生の頃でした。それ以来、ぼくは、ずっと、この問題を考えてきました」。一番バッターは、細身の男子学生だ。1時間前、わたしに続いて3時過ぎにここに来た彼は、メモ用紙を手に、必死にスピーチの練習をしていた。その姿からは、問題発生以来、考え、悩み続けてきた無償化実現への思いの強さが伝わってくる。
「日本の民族支配の結果である在日朝鮮人のわたしたちが、なぜ、こんな、不当な差別を受けなければいけないのでしょうか。本来ならば、わたしたち在日朝鮮人を生み出した日本国こそ、生活の保障や民族教育の提供をしなければならないはずです。それなのに、政府は、一貫して、朝鮮学校を差別し、弾圧し続けてきました。教育費を提供されない同胞たちが身銭を切って作ってくれた朝鮮学校を援助しないばかりか、朝鮮学校廃止の法律まで作って閉鎖させえようとし、あまつさえ、それに抗議する人たちを暴力で弾圧したのです。警察を使って学校から、実際に投げ出すように追い出し、抗議する人々に銃を向け、若い仲間を撃ち殺したのです」。日本人であるわたしたちの無知の罪は、いかに、戦後の混迷の中に置かれていたとはいえ、未必の故意を免れない。
「朝鮮学校は、経済的にひっ迫し、先生方の給料の支給もままならず、経営さえ非常に困難な状況にあります。保護者達は、それを支えるために、身を粉にして働いています。ですから、無償化は、その制度がなくても望んでいたものです。しかし、わたしたちは、お金が欲しくて叫んでいるのではありません。無償化除外という姿勢は、朝鮮人の通う学校を人として当然の教育権、学習権を保証する場であると認めないということです。それは、わたしたち朝鮮人を人として認めないということです。朝鮮学校を認めないということは、朝鮮人の人としての存在を認めないということです」。だから、無償化の問題は、金の問題でありながら、朝鮮人の存在を認めるか否かという根源的なものだというのだ。
「だから、今、裁判で戦っていますが、日本政府には、まず、過去の植民地支配を心底反省し、この問題と真摯に向き合ってほしいのです」。憲法に則り、人権を守り、朝鮮学校に無償化を保障するために、日本は、自らの犯した侵略戦争の過去に真摯に向き合わなければならない。それは、取りも直さず、日本国民が、過去の歴史を教訓とした平和憲法を体現する国民として自立していくための道筋でもある。それを被害者である朝鮮の若い人々に教えられるという恥ずかしさが身を包む。
学生たちの懸命な訴えが続く。連続行動の中で、無償化の試練が、学生たちに、自らの存在を問わせ、彼らを高みに導いていく。しかし、それを負わせながら、目を閉じ、耳を塞いでいる日本人は、自らの置かれている地平に安住し、そのことによって、政権の堕落と共に地獄への道を歩んでいる。「高校無償化から朝鮮高校だけが外されていることをご存知ですか。どうぞお読みください」とビラを差し出すわたしに、「大丈夫です」と返す若い女性がいた。彼女は、何を「大丈夫」だと言っているのか。言いたいことは分かっている。関心がないので要りませんということだ。自分の世界に存在し、同じ空気を共有する他者の営みに関心を持たないものは、自らの利害に疎くなる。何かの野望によってそうさせられていることへの無自覚が政権の堕落への関心を殺し、権力が自分を蔑ろにする手伝いをしている。若い在日朝鮮人たちが自らの言葉を求めて戦っているとき、日本の若者は、自らの言葉の軽さに気を留めることなくその前を通り過ぎていく。「大丈夫」ではないのだ。
一張羅の背広に金模様のネクタイをした無償化連絡会代表の長谷川和男さんがマイクを持つ。「孫の入学式に参列するので、文科省へ行くのが遅れるかもしれません」とFacebookに投稿していたが、入学式の装いを着替える間もなく、7つ道具の幟も持たず馳せ参じた。金曜行動に対する真摯な姿勢を見せられ、鞭を打たれる。
「孫の入学式に参列させてもらい、子を思う親の気持ちを改めて考えました。古今東西、子どもを持つ者に、我が子の幸せを願わないものはありません。子どもを産み育てている、あるいは、これから育てるであろうみなさん、教育行政を司る文科省のみなさんの胸に、そのことを深く留めていただきたい。あなた方がそうであるように、だれもが、我が子の健やかな成長を願っています。在日朝鮮人の親も、同じです。学校や教育は、そういう子どもにとって欠かせないものです。そして、それは、全ての子どもに与えられる自然権ともいえる人権でもあります。優秀なあなた方は、そんなことは百も承知だと、わたしは、思っています。そして、心ある官僚であるあなた方が、ここで叫ばれていることに心を痛めていることも承知しています」。文科省の役人の信条に理解を示しながら、彼は、あえて言わなければならない。
「それなのに、なぜ、こんな非道がまかり通っているのか。そして、その先に何があるのか、それを共に考えようじゃありませんか。それは、その非道を知っているわたしたち一人一人が、なすべきこと、小さな努力でもいい、それを怠っていることによるのではないでしょうか。『出る釘は打たれる』の例え通り、前川さんは、打たれ通しです。彼ほどのことでなくとも、できることはたくさんあるはずです。森友問題、加計問題、自衛隊海外派遣問題、政権のぼろが続々と表面化しています。日本人が日本人として生きていけるのが当然のように、朝鮮人が朝鮮人として当たり前に生きていける社会を手をつないで共に作っていこうではありませんか」。優秀な日本の官僚が、今、襟を正す時であると長谷川さんは訴える。手を携えて、世の不正を正し、朝鮮高校を無償化しようと呼び掛ける声が最大になる。
それまで座って話を聞いていた京都留学同の朴利明さんが立って、おもむろにマイクを握る。
「今日京都から来まして、朝から座っていました」。5年前、第2次安倍政権が発足したとき、省令改正によって、朝鮮学校の無償化排除をより確固としたということを契機として、5年前にここに座りに来たという。5年経って、制度化から8年にわたって国策差別が続いていることに、大きな憤慨を覚えているのだと。
「わたしは、朝鮮学校に通ったことはありません。わたしが通ったのは、日本の学校だけです。わたしにとって、朝鮮というもの、民族というものは、否定の定義になるものばかりでした。権利がない。名乗ってはならない名前がある。差別がある。わたしにとって、朝鮮というのは、すべて、マイナスのイメージに結びつくものでした」。彼は、大学に入り、朝鮮学校、民族学校出身の仲間たちと出会い、また、そこに通う生徒たちと出会い、朝鮮というものと出会い直すことができたという。決して否定的なものだけではないこと、戦い続けてきた歴史、喜びを知ったのだ。
「民族教育を、学校という場では学ばなかったけれど、朝鮮学校の存在を通して、また、そこの子どもたちを通して、自分にも民族教育を受ける権利があるということを知ったのです。その朝鮮学校に対する国策差別というものは、このわたし自身が得た教育の権利を改めて踏みにじるものとして、到底許すことはできません」。
文科省は、無償化差別だけでなく、2年前には、通知という形で、地方自治体に対して、補助金を止めるような圧力をかけ、その結果、あまたの自治体が補助金を凍結していった。そして、朝鮮学校への補助金支給の条件として、肖像画であったり、教科書の記述であったり、不当な介入を続けている。
「あなた方は、朝鮮総連の不当な支配などと言うけれども、朝鮮人を、朝鮮学校を不当に支配し続けているのは日本、文科省、あなたたちではないか。植民地時代から続く、この不当な支配に対して、わたしたちは、断固拒否し、戦い続ける」。胸を錐で刺すような、鋭い言葉を、日本人のわたしは、どう受け留めるのか。
学びの多い金曜行動ハッキョの授業が終わり、朴利明さんは、研究会へ行くために荷物の片づけを始めた。娘の講演会に行くという、Facebook友だちと確認できた金英順さんに誘われて、長谷川さんと一緒に水道橋にある日本学院に向かう。地理不案内だという英順さんの言葉に、タクシー運転手の姜義昭さんが、「すぐだから乗っけていくよ」と送ってくれた。義昭さんには、運賃、高速料金を甘えた上、膝の痛みを理由に、商売用の車にプラカードケースを預かってもらったが、仕事に差し支えないだろうか。申し訳ない。
娘の金淑美(キン・スンミ)さんは、朝鮮新報の記者で、今日の講演会は、Facebook友だち朴金優綺さんが投稿していた、彼女の平昌五輪取材報告だった。胸に滾るものを抱きながら、冷静に、淡々と報告する若者のプレゼンテーション力に敬服する。8月訪朝の折には、滞在中の平壌を案内してくれるという。楽しみがまた一つ増えた。

 

(facebook  Bさんの記事より)

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